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番号を背負うということ
 濱中が背番号を「5」に変更するそうだ。

 これで何度目になるのだろうか、「66」から始まって、「25」→「31」と渡ってきた。
 きっと、背番号「31」の濱中のナンバー・ジャージを手に入れたばかりのファンもいただろう。
 掛布の栄光を彩った「31」を右バッターの濱中によって再び甦らせることを期待したファンも多かったと思う。
 何故に、今更「5」に変わる必要があったのだろうか?

 若き日に重い番号を背負うことは、よくあることだ。
 それが成長し、活躍を期待されると若い番号に変わることもよくある。
 ノムさんの時代の濱中がこれだった。「66」→「25」。期待が将来のクリーンナップを託す存在に変わった。
 ところが、怪我に泣き、この番号が不吉だと番号を変える。期待は、掛布が背負った「31」を引き継ぐことで、復活に夢を描いた。やっと、1軍に復帰し、これから本格的な復活ロードを歩む時だ。何故に変える必要があるのか、疑問だ。
 あまり、番号を変えた選手で大成したのを知らないせいもあるかもしれない。

 掛布は、入団時そんなに期待される番号でなかった「31」を王選手と長嶋選手を足したような選手になるという意味でとり、これを愛し自分の番号のした。
 イチローも「51」を愛し、「51」といえばイチローといわれるようになりたいといい、この番号をメジャーにした。
 松井の「55」もしかりだ。

 阪神では、赤星が「53」を目標の盗塁数にたとえ、もっと若い番号へ変更をという提案を辞退し、自分の番号にしつつある。
 あの時、若い番号に飛びついた藤本・沖原が伸び悩んだのとは対照的だ。

 番号を背負うということは、その番号を愛すことだと思う。
 その番号に、自分を映して声援を送るフアンを愛することだ。
 なんかしっくりこない、とか昔から憧れの番号だからとかいうのは、単なる逃げだろう。
 「66」でメジャーになればいい。(SBの斉藤投手がいい例だ。)
 「25」を最後まで背負いとおす気概が大切じゃなかったか?
 あっさり、掛布を継ぐものの十字架を放棄していいのか?

 来期の濱中の位置は極めて微妙といっていい。
 相変わらず守備に不安はつきまとう。外野のポジションの空きはライトのみだ。
 ここに、桧山・スペンサーに加え赤松・林が絡む。
 赤松の足・肩に林の打壁は充分レギュラーを争うに足るものだ。
 掛布の「31」から逃げたとすれば、強肩・新庄の「5」を背負っていけるのだろうか。
 どうせなら、初心に戻って一からやり直す意味で「66」にでもしたほうがよかったんじゃないだろうか。

 いずれにせよ、濱中は厳しい視線と争うに身をおかねばならないのは確かだ。
 そして、その濱中の最大の敵となるのは、濱中が手放した「31」を継いだ男・林 威助であるのも皮肉なことだ。

 がんばれ!番号を背負う男たちよ。
 ぐぁんばれ!タイガース
| 房 寅吉 | - | 22:29 | - | trackbacks(0) |