2006.10.12 Thursday
5−1 対中日 さらば、片岡 篤史
あの年、誰もが期待をした。
星野 仙一氏を新監督に迎えたタイガースの補強の焦点は、この年にFA権を得た、日本ハム ファイターズの片岡 篤の動向だった。 もともと関西出身でPL、同志社大と関西圏で育った片岡が関西に戻りたがっていることは明らかだが、同時に日ハム ビックバン打線の中核を担う片岡は、ファイターズのチームリダーでもあり、欠くことのできない選手でもあった。 なればこそ、タイガースファンの想いも募り、あの野村監督をもってでも暗黒時代を脱しきれない現状に、片岡に土下座してタイガース入りを乞うファンまで出現したのも記憶に新しい。 そうして、星野新監督の下船出した、タイガースが出だしこそ7連勝を飾り、アッというまに貯金も2桁にのせるという好調ぶりを見せたが、WCの変則日程にさらされる6月から失速を始めた。 このから、期待が高かっただけにそれを裏切る片岡に罵声ともつかない声援が多くなった。 翌年に、タイガースは金本を広島からFA補強し、大成功を治め、優勝するのだが、この年に金本が果たした役割を、その前の年に片岡に期待していた。 タイガースのホットコーナーを守り、チームリーダーとして高校の後輩でもある今岡なんかをぐいぐい引っ張っていってくれる。そう期待していた。 図らずも、故障やバッティングスタイルとセ・リーグの攻め方に戸惑いをみせ、期待通りの結果が出せなかったのだ。 その片岡が一番輝いたのは、移籍2年目の優勝を決めた広島戦。 あの同点HRだったろう。 きっと本人もだろが、タイガースファンにとっても忘れられない1発になったはずだ。 今日の挨拶で、片岡は“燃え尽きた”“悔いはない”と言っていたが、ホントそうだろうか。 FA移籍を決めたときに描いた姿は、決して今の姿じゃなかっただろう。 今の金本のような姿を描いて、縦じまに袖を通したはずだ。 そして、そうなれないと感じたときに、片岡は“燃え尽きた”んだと思う。最後まで使ってくれた岡田監督への感謝も忘れていない。(しかし、岡田監督は散り際の選手に優しい。) 思うような活躍もできなかっただろう。 それでも連日満員の中でプレーし、2回も優勝を味わえた。 それだけでも幸福だったのかもしれない。そういう意味で悔いはないのだろう。 ありがとう、片岡 篤史。 あの日のHRは、きっとわすれない。 これからも、ぐぁんばれ!片岡 PS 安藤投手、10勝目オメデト もうひとつ、新庄 優勝おめでとう。 |