2005.06.18 Saturday
「自己紹介いたします!〜虎への熱い想いもたっぷりと〜」
虎っくばっくスタジアムスペシャル企画のプレゼントに曳かれ、参加して見ることにする。
ということで、今日は本題から逸れて、寅吉の自己紹介なんぞをしてみます。 寅吉のHP「寅吉のねば!され!タイガース」のなかの横顔のコーナーにも書いておりますが、今一度。 名前 房 寅吉 (ふさ とらきち) 年齢 1958年生 寅吉だけど、戌年 8月生 寅吉だけど、獅子座 身長・体重 172cm 80kg (最近太り気味で・・・・・) 出身地 阪神ファンだけど、東京は下町 浅草生まれ 好きな言葉 「勝ちたいんや!」 「NEVER NEVER NEVER SURRENDER」 「迷った時には、前に出ろ!」 好きな選手 古くは 江夏 豊 田淵 幸一 (黄金バッテリーって呼ばれてた。) 現在は、鳥谷 敬(よく阪神を選んでくれた!) とはいえ、タイガースの選手であればみんなが好きです。 好きな監督 第一期監督時の、村山 実 (投手兼任で奮闘、カッコよかった!) 賛否両論あれど、野村 克也 (言っていたことは、正論だと思っている。) そして、もちろん 星野 仙一 (あなたは偉い!) 好きな番組 猛虎キャンプレポート200×(スカイA) 毎年楽しみです。 亀ちゃんのタイガースに檄!(GAORA) 嬉しかったゲーム 1973年8月30日対中日戦 江夏ノーヒット・ノーラン。サヨナラホームラン。 1979年6月2日対読売戦 ラインバックが江川のデビュー戦を粉砕。 1985年4月17日対読売戦 伝説のバックスクリーン3連発 寅吉が阪神ファンになったきっかけが江夏豊投手。阪神ファンになる入り口に彼はいた。 時はジャイアンツの全盛期、9連覇の初期段階(3連覇から4連覇を狙おうとしていた。)ONの全盛期。世の中の子供たちは、こぞってジャイアンツファン化していたころ。少年野球はは、皆3番と1番の背番号を取りあってたころ。誰もが最後はジャイアンツが優勝するものだと、水戸黄門のドラマを見るがごとく信じこまされていたころ。彼はやってきた。そして、ジャイアンツに敢然と牙を剥いていた。 寅吉が野球に興味を持ち始めた小学校の頃、クラスの誰もがジャイアンツの話題ばかりだったのに、何故か反して(もともと、天邪鬼な性格があったのだけど・・・)そのジャイアンツに牙を剥く江夏という投手に惹かれていった。 そして、田淵幸一選手。長嶋の持つ六大学の本塁打記録の8本を大きく上回る22本の本塁打を放ち、強肩、俊足で長身というそれまでの捕手のイメージを覆すスター選手であった彼を注目していた。あのジャイアンツが王の1番と長嶋の3番に2番田淵を加えた夢のクリーンナップ構想を掲げ、彼もジャイアンツ入りを望んでいた。 その、田淵選手のドラフト指名。最初は、ジャイアンツへの未練たらたらだった田淵だが、ついに阪神入団を決意。当時阪神のエース江夏とともに「黄金バッテリー」の誕生と騒がれた。同時に寅吉の阪神ファンが決定的に。江夏に誘われ、田淵に背中を押された感じだった。 その後、寅吉を阪神ファンにした要因の2人が阪神から去った。(江夏投手は、75年のシーズン後南海にトレード、田淵選手は78年のシーズン後西武にトレード)しかし、寅吉はだからといって阪神ファンをやめられるような位置にはもういなかった。もう阪神タイガースそのものが好きになっていた。(72年の屈辱も味わい、一層深くタイガースを応援したくなっていた。) 85年の優勝の折には、徹夜で日本シリーズのチケットを買い、西武球場の第2戦。バースのHRとファインプレーに酔った。 今は、03年のリベンジを果たすべく、打倒ソフトバンク・ホークスに燃える今日この頃なのである。 以上、簡単な自己紹介でした。 プレゼント当たるといいな〜っ! ぐぁんばれ!タイガース |