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平成の魔術師逝く
 前オリックス監督、現シニア・ディレクターの仰木彬氏が亡くなった。

 その采配は、彼の恩師である三原脩氏になぞられ、「仰木仰木マジック」と呼ばれ、何通りものスタメンを相手のデータに合わせ組み替えたのは有名だ。
 今年の千葉ロッテが同じように、何通りものスタメンを展開して「ボービーマジック」と呼ばれていたが、そんなもんに驚きはしなかった。
 もう、何年も前に仰木氏によって見せられてきたマジックだったのだから。

 仰木さんは、ある意味真のプロ野球の監督だったのかもしれない。
 エンターティメントとしてのプロ野球をよく考えてくれていた。仰木さんの采配の向こうには、必ずファンの目を意識した行動に支えられていたと思う。
 さして人気が高くなかった、近鉄・オリックスでパ・リーグを盛り上げるため、いろいろ手を尽くし、成功も収めてきた。
 本来、パリーグの会長とかに治まって欲しい人材でした。

 しかし、昨年のオリクス・近鉄の合併が仰木さんを現場に駆り立てた。
 思えばあの状況で合併球団を引き受けられるのは、仰木さんしかいなかったのだろうけど、それはわかっているのだけど・・・・、もう少し自分の体を労わってくれていればと思ってしまう。なにより、合併球団であるオリックスにそういう気持ちがなかったのであろうか・・・・。

 仰木さんと、阪神も浅からぬ縁がある。
 思えばサッチー騒動でノムさんが辞任に追い込まれたとき、後任監督にほぼ決まっていたのが仰木さんだった。
 このとき、シアトルにイチローに会いに行った仰木さんは、「来年は阪神でやる。」ってイチローに告げていたそうだ。
 この話は、星野さんが中日を解任されたとたん消滅し、仰木阪神は架空の物となった。(実際、話は何処まで進んでいたのだろうか。たぶん、あとは契約書にサインというとこいらへんまで行っていたんじゃないかと思う。)

 あの時、仰木阪神が誕生していたらどうなっていたんだろう。
 阪神でも仰木マジックを披露していたんだろうか?
 金本・伊良部・下柳などは、獲得できていたんだろうか?
 ジョージを、再び仰木さんは獲得しただろうか?
 ノリは、仰木さんが乗り出していたら阪神に来たんじゃないだろうか?そうしたら金本は、来てくれたんだろうか?
 坪井や山田・伊達を出して、下柳・野口・豊を取るようなトレードを仕掛けられたであろうか?
 きっと、仰木さんは、まったく別の方向から阪神再建へのアプローチをしていたんじゃないだろうか。
 それはそれで、一回見てみたかった気もするのだが・・・・・。

 なんせ、今の球界で根本さん(元西武・ダイエーの管理部長)亡き後、チーム作りの才能、つまりGM的役割に長けた人物は、星野前監督と仰木さん、この二人しかいないと思っていた。
 いずれ、この二人がセ・パの会長からコミッショナーを務めていただなかなくては、球界の発展はないとも思えるほど期待していたのだが。

 なんにせよ、球界はまた重要な人物を失った。
 仰木さんの遺志を継ぎ、パリーグ発展のため、球界の発展のため尽くしてくれる人間が多く現れてくれることを望まずにいられない。
 
 幻に終わった仰木阪神に、
 最後までグランドにたち続けた稀代の平成の魔術師に、合掌。

| 房 寅吉 | - | 12:49 | - | trackbacks(0) |